昼も夜も食べ放題の「お好み焼き 鉄板焼き まんまる」
エディオン本店が6月21日にオープンしましたね!
1000人以上が並んで入場を待ちに待ったエディオン本店リニューアルオープン!!
あのとき、オープンの瞬間。行列の中から「オープン待っとったよー」なんて声をかけているお客さんもいたのを見ながら感涙ものだった筆者トミーがそこにはいました。
ん?なんで感涙かって??
そりゃぁエディオンったぁ、広島人の誇りの全国企業じゃもん。
50代以上はダイイチとかダイイチ産業とか呼び、40代前後はデオデオと呼び、新しい世代はエディオンと呼び、そしてみんなが同じ企業を思い浮かべる企業ですぞ。
3世代以上で名前変わって同じ企業が愛されてるって相当すごすぎるでしょ。
広島人が大好きな「エディオン」(私は今でもデオデオって呼ぶけどね)
・小学校の夏休みの電子工作キットを買いにダイイチ本店の地下に行き…
・CDやLD(エルディー。レーザーディスクだよ!みんな覚えてる?)を買いに本店横のディスクCityに行き…
・高校演劇部時代に星球を見よう見まねでつくるためにデオデオパーツ館に通い…
・就職先にまで選び(エディオンに変わったあとに部署の統合があって退職したけど)…
・それでもエディオンが好きすぎて足繁く通い…
そーんな筆者が、知っているようであまり知られていないエディオンをちょっくら深掘りしてご紹介しようと思います。
広島人のエディオンのイメージ
・ お父さんが作った店 → 第一産業 → ダイイチ → デオデオ → エディオン に名前がかわったね。
・ ダイイチって、サービスが良くて高級オーディオっていったらダイイチよね。
・ デオデオって、ちょっとよそよりは高いけど、保証も手厚いし、困ったらデオデオ呼べばなんとかしてくれるし、ヤマダとか浮気したけどやっぱデオデオよね。
・ デオデオのプライベートブランドはよそよりもぐっと安めの物が多かった。
・ エディオンになってからCMのタレントさんが豪勢になったね。
・ 紙屋町周辺がデオデオだらけだったよね。
・ エディオンになってからなんか値下げ率大きくなったよ!? よそより安いものが増えたね。
そのイメージは合っています。
総業から70年以上のエディオン(実際はエディオンは2002年にできた会社ですが)にはこんな歴史があったからなのです。
物語でわかる歴史編
「お客さま第一主義」を経営理念に成長を続けるエディオンは、家電業界でいうと勝ち組です。 はじめは1946年。久保道正氏(現エディオン社長のお父様)と弟の明氏が作った「久保兄弟電器商会」というちいさな会社でした。 戦後の混乱期に二人はリュックサックを背負って国鉄に乗って東京や大阪に出掛け、部品を調達して広島の電気屋に仕入れた部品の販売したり、真空管式のラジオを作って卸していたそうです。 1957年に、これからは「大量生産品の時代が来ますよ」と電器メーカーにアドバイスをもらった道正氏は卸売から小売業に転換します。それまでは高めの値段をつけておいて交渉値引きで販売する方法が主流だった中、誰もが平等に同じ価格で買える低価格販売を全国に先駆けてスタートします。 1953年にはテレビ放送がスタートし、テレビや電気洗濯機の販売がスタート。第一産業の社員は当時主婦に珍しかった洗濯機を実演販売(当時では大変めずらしい手法だった)することで主婦層に支持されるように。 ダイイチからデオデオに名称変更。のれん分け制度やフランチャイズを展開し、大型店舗でカバーできないエリアにデオデオのファミリーショップを多く開店することによって地方のお客さまの購入支援や修理サポートなどのアフターサービスを手厚くすることに成功し、「デオデオさんに言えばなんとかなる」の中国地方独自の風土を築き上げあげました。 しかし事業拡大を続ける中、創業者の息子である現エディオン社長の久保允誉氏はこのように思ったそうです。 「各地方で各家電量販店が頑張るには限界がある。インターネット通販もこれから広がるだろう。家電量販店同士が手を結んで顧客数の母数を大きくし、電機メーカーなどから大量に仕入れてより安くお客さまに商品を提供することができないと生き残れない時代がくる。」 2002年には名古屋に本店を置く家電量販店のエイデンと手を組み、エイデンとデオデオをあわせた名前のエディオンという持ち株会社を作りました。そして周りの家電量販店に声をかけてグループを拡大し始めます。 これが家電量販店戦国時代の始まりです。 グループ外の会社とも組んで、大量購入を約束してメーカーにプライベートブランドの家電を安く作ってもらい、それらを販売するネットワークを構築しました。エディオンというブランドでエリアを全国へ拡大していったので、CMは全国ターゲットになり、タレントさんは馴染みのケント・デリカットさんから所ジョージさん、本田望結さん、家電芸人の徳井義実さんへと全国規模で活躍されている方に変わっていきました。(ケント・デリカットさんは現在はアメリカ在住です) 顧客の母数が増えたことでプライベートブランド以外にも既成品の大量仕入れにも成功し、今では昔のような「ちょっとお値段は高いけどサポートがいいからやっぱり…!」なんかではなく、エディオンとヤマダとコジマ見て回ろ♪ っといった感じで、値段に関しては同列で比較されるお店になってきています。 久保社長の読みと動きは素晴らしいものでした。同じように大きくなっていった大手のヤマダ電機やビックカメラの裏で、小さな地方の家電量販店は負け、どんどん潰れていきました。あのときエディオンにならなかったら、デオデオ(今のエディオン)の看板はなくなっていたでしょう。 広島輩出の全国企業は多くありますが、エディオンは間違いなくそのうちのトップ企業の一つなのです。 |
わーすごい、筆者、マジでエディオン愛があふれてるw
ちょっとおおざっぱだけど、知っているようでしらない広島のエディオン と 全国のエディオングループの変遷を以下にまとめました。歴史ネット上ではあちこちに散らばっており、特に2005年以降のデオデオタウンの変遷が一箇所にまとまっているものはないと思うので、一部のエディオンマニアとみなさまの記憶の思い出しにはお役に立てるかと思います。
あーそうだったねの歴史年表
戦後を生き抜いてきた家電量販店 編
紙屋町の本店周りの歴史を重点的にピックアップしてみました。懐かし&大切キーワードに色つけてます。
1946年 |
久保兄弟電機商会 創業(創業時から店舗兼事務所は現在の広島本店の位置) |
1947年 |
第一産業株式会社 設立 |
1952年 |
店舗名を ダイイチ に変更 |
1973年 |
ハイライフプラザダイイチ産業本店 として建て替えた本店を開業する。 |
1986年 |
第一産業株式会社 を 株式会社ダイイチ に名称変更 |
1997年 |
株式会社ダイイチ を 株式会社デオデオ に名称変更、同時に店舗名も デオデオ に変更 |
2001年 |
生活家電館 が現在のフタバ図書GIGA本通店の建物(原田ビル)にできる。その後パソコン館に変更。 |
2002年 |
株式会社エイデン と経営統合し、株式会社エディオンを設立。デオデオの店舗たちの名称は順次エディオンに変更される。 |
2005年 |
パソコン館 が パソコン機器の取扱ブランドの CompMart に名称変更 |
2006年 |
おもちゃ、ホビーを取り扱う ネバーランド袋町店 を 旧ダイエー広島店跡(旧アンデルセン横)に開業 |
2007年 |
紙屋町デオデオタウンの一部を構成していた ウォッチ&カメラ館・デオデオ旅行社・ドコモショップデオデオ店(旧ディスクCity)・パーツ館・デオデオ第3大手町ビル・サンフレッチェ広島オフィシャルショップ V-POINT を更地にして本店西館として建て替える計画が決定。 |
2008年 |
ソフマップギガストア広島店 跡に ネバーランド袋町店 が移転し、ネバーランド広島本店 と名称変更する。 |
2010年 |
新館建築計画のために更地となった場所にあった各店舗が本店内や近隣ビルへ移動。大きな移動は以下の通り。 ・ウォッチ&カメラ館:CompMartのある 原田ビル に移動 |
2012年 |
本店新館(現在の西館)がオープンし、本店は本館と新館の2館体制に。紙屋町の本店の名前を エディオン広島本店東館とエディオン広島本店西館 に変更。 ・ウォッチ&カメラ館:カメラ部門が6月に西館へ移動。残されたパソコン(Compmart)と時計は10月に本館へ移動。 |
2017年 |
本店本館の解体がスタートし本館内にあった売り場が大規模引っ越し ・おもちゃ、ホビーコーナー:原田ビルの4Fへ移動(原田ビル4Fのパソコン教室は新館近くの上田ビルへ移動) |
2019年 |
4月〜6月の間に新館を一時閉店し、本店本館の建て替えと同時に工事を進め、近隣に移動していた店舗と新館にあった各フロアを再編成して大規模引っ越し作業を行う。(パソコン教室は 原田ビル のまま) |
なつかしの写真たち↓↓
— 株式会社エディオン (@edion_PR) 2019年3月1日
家電量販店戦国時代突入 編
2002年以降のエディオンがどのように戦国時代を生き抜いてきたかをまとめてます。
家電量販店戦国時代は本当はもっと細かいのですが、書いたらキリがないレベルなので、大きめのよく知られた企業に絞って書いています。
2002年 |
株式会社エイデン と経営統合し、株式会社エディオン 設立 |
2004年 |
エディオン と ミドリ電化 との経営統合が決定。同時に 上新電気・デンコードー・サンキュー(100満ボルト)との業務提携を解消。 |
2005年 |
会社更生法の適用を申請した家電とホビーの量販店 ニノミヤ の一部店舗を引き継ぐ。 |
2006年 |
石丸電気 を関連会社化 |
2007年 |
サンキュー を連結子会社化 |
2008年 |
石丸電気 子会社化 |
2009年 |
ビックカメラ との業務資本提携を解消。 |
2010年 |
エディオンEAST と エディオンWEST が合併して株式会社エディオンとして一体化 |
2011年 |
サンキュー 子会社化 |
2012年 |
イシマル、エイデン、ミドリ、デオデオ の名称変更されていなかった店舗名を全店 エディオン に変更。 |
いやーまとめるの時間かかった…。
なにげにこれを調べ上げて書くのにぶっちゃけ8時間かかった…!
エディオンの戦国編はおまけで書きました。ヤマダ電機とベスト電器が一緒になろうとした結果、棚ぼたで30店舗近く手に入ったエディオンの話が笑えますよね。
また老朽化した本館を建て替えるのに10年以上の長期スパンで計画をたてていったことがよくわかります。紙屋町周りのデオデオはよぉ移動するなぁ…なんて思ってたけど、あの周りをやりくり仕上げて頑張っていたんだね、ごめん、デオデオ。でも、ウォッチ&カメラ館、移動しすぎじゃね?www
さて、あれやこれや調べているうちに、広島人が知っとくとおもろいコネタがあったので掲載。1つ目は有名だよね。
エディオンコネタ1:サッカーめっちゃ好き
エディオンの久保社長とお父さまの道正氏は、ともに広島のスポーツ振興に尽力を奮ってきた人たちなんだよ。道正氏は1987年に資材を拠出して「久保スポーツ振興基金」を設立。息子の久保社長は1998年に経営危機に陥ったサンフレッチェ広島の社長に就任し、2年で黒字化したすごい人。その後も長年にわたって地元財界とクラブの橋渡しをし、経営安定に努めているよ。
エディオンコネタ2:エディオンには本店がやまほどある
もともとは経営統合する前の各会社の本店所在地にあったものを本店といっていたけど、いまでは各地区の大きめの店舗を本店扱いしているようです。
エディオンの名がつくフランチャイズを含めた全店舗1123店のうち、本店がつく店舗は以下でした(2019年6/21 現在)
エディオン広島本店/エディオン名古屋本店エディオン岡崎本店/エディオン豊田本店/エディオンなんば本店/エディオン洲本店/エディオン串本店/エディオン新鳥取本店/エディオン倉敷本店/エディオン津山本店/エディオン呉本店/エディオン福山本店/エディオン東広島本店/エディオン山口本店/エディオン周南本店/エディオン松山本店/エディオン今治本店/エディオン佐賀本店/エディオン長崎本店/エディオン熊本本店/エディオン大分本店/エディオン宮崎本店/エディオンキソジ本店/エディオンあやめ本店/エディオントスク本店/エディオン鹿児島本店/
愛があふれすぎて筆が止まらない筆者ですが、いい加減ここらへんにしておいて、リニューアルオープンしたエディオン広島本店ツインタワーについてを創刊カラフルライターたちでわけっこして書きました。
こちらもぜひ、お読みください。
朝から仕事を休んで行ってきました
「エディオン広島本店 ツインタワーのみどころをちょっとオタク視点でご紹介します!」
歴史的なリニューアルオープンのその瞬間まで
「写真で見るエディオンツインタワーオープン、その日の朝。」
今回の記事を書くにあたって筆者の記憶だけでは足りないので確認のためにも参考にさせていただいたページのご紹介
Wikipedia (久保道正)(久保允誉)(エディオン広島本店)(エディオン)(デオデオ)(エディオンEAST)
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